2023年8月号
お笑い芸人・スギちゃんスペシャルインタビュー 「くじけることがあっても、道はひとつじゃない」
「ワイルドだろぉ」の決めゼリフで人気のお笑い芸人スギちゃん。とてもワイルドなんだけど、実は小学生のときに心臓の手術で長期間入院した経験があり、そのときはとてもつらかったそうです。また、芸人の道に進んでもなかなか売れず、何度も「もうやめよう」と思ったことがあると言います。みなさんの中には、友人や家族のこと、勉強のことなどで不安や悩みを持っている人がいるかもしれません。そんな人たちに対してスギちゃんは、「もし壁にぶち当たったとしても、道は一つだけではない。自分には合わなかったんだと考え直して、別の道をまた行けばいい。それは決して逃げることじゃない。これしかない、と思い込まず、自由に生きると、人生とても楽になるぜぇ」と話します。
心臓の手術で半年間入院した小3のスギちゃん
子どものころから人を笑わせることが大好きだった。自分ではよく覚えていないけれど、同級生の話を聞くと、ドラえもんのメイクをして学校に行ったこともあったんだって。そんなオレだけど、小さいころは実は体が弱かったんだ。学校の健康診断で異常が見つかり、生まれ付き心臓に穴が空いていたことが分かった。「手術をしなかったら20歳で死ぬ」と医者に言われて、小学校3年の時に手術を受けた。3週間ぐらいで退院するはずだったのに、肝臓も悪くなって結局半年間入院したんだ。
それまで普通に健康だと思っていたから病院に通うようになって嫌でたまらなかった。おなかの下の部分を切って管を入れて心臓を調べる検査があったんだけど、それも痛くてね。それでも当時、人気タレントがおばあちゃんの格好をして腰曲げて歩く姿をテレビでやっていたのが面白くて、本当は痛くて腰を曲げていたのに、そのおばあちゃんのまねをして周りを笑わせたりしてたんだぜぇ。ワイルドだろぉ。
手術をしてから長い間入院していたため学校に行けず、もちろん遠足なんか行けるはずもない。クラスのみんなから励ましの手紙をもらって、それは確かにうれしいんだけれど、逆に、みんなに会えない、遊べない、という気持ちになって元気がなくなっていたんだ。「なんでオレだけ、こんなめにあわなくてはいけないんだ」と思ったりしてね。家族や友だちがお見舞いに来ても、結局はみんな帰ってしまう。ひとりぼっちになって寂しくてつらかった。母親に「帰らないで」と泣いたこともあったっけ。当時、楽しみだったのは、漫才などをやっていたテレビ番組。父親にテープに録音してもらって、枕元のラジカセで何度も聞いていた。笑うことで寂しさを紛らせていたのかもしれない。
入院中、肝臓の薬で糖分をとったり、お見舞いでもらうケーキを食べたりしてたちまち太ってしまった。毎日体重計で、自分で量って体重を紙に記入するんだけど、恥ずかしいから毎日ウソを書いていた。するとある日看護師さんにバレてしまった。実際の体重が前の日記入したものより10キロも多いということが。でもそれもとぼけて笑いにしてやったぜぇ。たとえ恥ずかしいことでも、自分が失敗しても、全部が笑いになる、ということが、それで分かった。そうしてオレは、お笑い芸人になろうと決意し、卒業文集にもそう書いた。
変化を続けていたら、違う結果が出てくる
生まれも育ちも愛知県。お笑い芸人になるには東京か大阪に行くしかないと思っていたから、まずお金を貯めようと、高校を卒業してから2年間、就職して働いた。でも2年たったら、名古屋市に吉本興業の養成所(NSC名古屋校)ができたので、そこに入った。もし大阪に行っていたら、ライバルが多すぎて芸人をあきらめていたかもしれない。オレってついてるだろぉ?
デビューしてからしばらく、全く売れなくて、これじゃあダメだと東京に出てきた。いくつかテレビ番組に出させてもらっても続かず、事務所もクビになった。やめようか、とも思ったけど、試していないことがいっぱいある。それまではコンビでやっていたけど、ピン(一人芸)はやっていない。ピンをやってみて、それでだめならやめればいい、そう考えた。自分にはこれしかないと思い込んでいたら、一度壁にぶち当たると、くじけてしまう。だけど、道はほかにもある。そう考えたら、また違う道を行けばいいんだ。
ピン芸人を始めて、最初のライブをあるテレビ局のスタッフがたまたま見てくれていて、そのテレビ局の番組に出演することになった。その後も次々テレビ出演が決まった。だけど、一度は出られても、続かなかった。そうすると事務所にもいられなくなった。この時はさすがにもうダメだ、と思ったけど。まだ事務所はいくらでもある。ちょうど今の事務所に所属の人が優しい人が多くて気になっていた。それでこの事務所でだめなら今度こそやめよう、と思った。
すると事務所を移って1年で「ワイルドだろぉ」が生まれた。同じことばかり続けていたら、いつだって結果は同じ。変化を続けていけば、違う結果が出てくるものだと思うよ。ダメかなと思ったら少し変えて試してみる。オレの人生ってその連続なのかも。歯車が少し変わると周りも変わってくるんだ。
悪いことがあるほど運がたまる
お笑いの大御所、萩本欽一さんの本でこんなことを読んだことがある。「悪いことがあるほど、運がたまる」って。オレも悪いことはいっぱいあったけれどその分運がたまって、爆発することができた。アルバイトをクビになっても、仕事がうまくいかなくても、オレは全然あせらなかった。「運がたまっている」と思ったから。
それから自分の理想像をあまりつき詰めないこと。売れてしばらくたってから、テレビの収録でうまく笑いをとれずに落ち込んだこともあった。それが続いて辞めたくなるときも。そんなときにお笑い芸人の大先輩、とんねるずの石橋貴明さんが「どうしたの?」と声をかけてくれた。こういうわけで、何をやってもうまくいかないんです、と話すと、石橋さんは「スギちゃん、全然落ち込む必要ないよ。だって実力がないんだから。本当に実力があったらもっと早く売れているよ」と言ってくれた。それでオレは「そうか、無理に理想に近づかなくていいのか」と目が覚めたね。
「ありのままの自分でいいんだ」と思うと、すごく気が楽になったぜぇ。それまではテレビ番組の収録でうまくいかなかったら、下を向いてあいさつもろくにせずに帰っていた。開き直ってからは、どんなにスベっても元気いっぱいにスタッフに「お疲れさま!」って言えるようになった。それでたまにウケると、たまらなくうれしくなるんだ。ハードルを上げて理想に向けてがんばろうとする人がいる。それはそれでいいことだけど、人は人。自分らしく生きると、楽ちんだぜぇ?
困ったときは相談してもいいんだぜ
人をバカにしたり、嫌がっているのに悪ふざけをしたりするのは、本当の笑いじゃない、ってオレは思う。迷惑行為をして笑いをとろうとするのも、意味が分からない。面白くも何ともないのに、やっている本人だけが面白がっている。お笑いをやっている芸人はみんな優しいよ。芸人は、心の中にねたみとか、汚い部分とかあると決して人を幸せに笑わせることができない。みんな心をピュアにして好きなことに一生懸命に打ち込んでいる。いくつになっても、夢を追いかけている。だから悪い人はいないと思っている。学校の授業でお笑いをやったら良いのにって、よく思うんだ。本当のお笑いは、みんなが幸せな気分になって笑いあえるものだ。だれかが一人でも嫌な顔をしていたら、それはお笑いではない。お笑いって本来、ステキなものなんだぜぇ。本当のお笑いを知ったらみんな優しくなれるはずなんだ。
オレには今でも小学校のときに受けた心臓手術の跡が胸にある。温泉番組などで裸になるとそれがテレビにも映る。すると同じ手術跡がある子どもから手紙をもらったことがある。「ずっと手術跡が恥ずかしかったけれど、スギちゃんを見たら、恥ずかしく思わなくていいんだ、と元気が出た」って。そんな手紙をもらうと、オレにも励みになるぜ。その子の心の痛みを少し和らげることができただけでも、芸人になって本当に良かったと思う。
悩みや不安をかかえている人は、一人でかかえこまない方が良い。親や先生に言えなくても、秘密を守って話を聞いてくれるところが必ずある。話してみれば、気持ちを切り替えることができるかもしれない。オレには5歳と3歳の子どもがいるけれど、もし将来子どもたちが何かで悩むようなことがあったら、何でもいいから隠さず話してもらいたいと思っている。
苦しかったり、悲しかったりしている子どもがいたら、その子を笑顔にしてあげたい。心から幸せな気持ちで笑えるようにしてやりたい。誰も傷つけないのがオレの芸。これからもオレはワイルドに生きて、みんなを笑わせてやるぜぇ!
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スギちゃん
1973年、愛知県生まれ。95年、お笑い芸人として活動開始。当初はコンビを組んでいたが2008年から一人だけのピン芸人として活動。2012年、ひとり話芸の日本一を決める「R-1ぐらんぷり」で準優勝し、知名度が急上昇。決めゼリフの『ワイルドだろぉ』は、「2012年ユーキャン新語・流行語大賞」の年間大賞に選ばれた。現在は5歳と3歳の子育てに奮闘中。